「私にはその行為に責任があるのだろうか?ないのだろうか?」という疑問が心に浮かんだら、あなたに責任があるのです。
ドストエフスキー
たまには真面目に考えてみたエントリです。rennyさんの記事から着想を得ています。
https://note.com/renny/n/nb049a085651d
(雑誌のコラムは拝読していないので、論旨がまる被りかもしれませんし、あるいは全く見当はずれのことを言っているかもしれません)
ここもとますますESGという言葉を聞くようになりました。
世に言われるESG投資には全く興味のないワタクシですが、やはり子供たちが生きていく未来の世界に関しては、人並み程度の関心はあります。
特に最近ですと、新疆ウイグルの話をよく目にします。
実際のところ何が起こっているのかはよくわかりません。一方の当事者である中国がそれを認めるはずはないし、欧米はそれぞれの事情でこれを見過ごすわけにはいかない背景があるのだと思います。
この辺りは、いま実際に苦しんでいる人がいるかもしれない中でその人たちを救済しようという話というよりは、政治的、イデオロギー的問題になっているような気がします。
では、これに対する企業の対応はどうあるべきでしょうか?
例えば、私が(おおぶねを通じて)オーナーの端くれを務めさせていただいているNIKEは、買わないという形でNOを突き付けています。
(参考リンク:https://purpose.nike.com/statement-on-xinjiang)
一方で、ファーストリテイリング(私は株主ではありませんが、GPIFや日銀の保有分のごく一部が私に帰属するかもしれませんので、やいやい言わせていただきます)は、”中立”な立場を表明した結果、「中国での不買を恐れた無責任な対応」とばかりに批判されてしまっています。
さて、NIKEの対応は責任あるもので、ファストリの対応は無責任なのでしょうか?
実際に何が起こっているのか情報がない中で、私たち弱小個人投資家に持てる武器は想像力しかありません。
ウイグルで強制労働、あるいはそれ以上のことが行われているとして、仮に世界中のアパレル企業が新疆綿を買うことをやめたとしたら……恐らくその農場や工場は閉鎖されるでしょう。
それで、そこで働かされている人たちはどうなるのでしょうか?
私には、それによってその人たちが今よりも幸せになれるとは思えません。
ファストリはこの問題が騒がれる前から全ての取引工場を定期的にモニタリングしているそうです。中には実際に問題が認められる工場もあるようですが、その場合は”顧客として”改善要求をしているようです。(参考リンク:https://www.fastretailing.com/jp/sustainability/labor/partner.html)
もちろん、これで十分かどうかはわかりませんし、表面上だけクリアしている工場もあるかもしれません。
でも、私には、「買わない」という決断をすることで関係を断ち切るよりも、顧客として関わりながらともに改善を目指していく方が、”責任ある”行動のように思えます。
柳井さんは、”ESG”に敏感な投資家や顧客だけでなく、中国内の従業員や世界中のサプライヤーに対しても責任を負っているわけです。少なくとも発言の表面上だけを切り取って「無責任だ」と批判する人よりは、はるかに責任ある言動を取られていると思います。
(なお、「日本の政治に対しては意見するくせに」との批判もありますが、かの国とは全然事情が違います。それだけ幸せな国に住めているということではないでしょうか。)
そして、忘れてはならないのが、ユニクロのおかげでどれだけの人が快適な日々を送れているかということです。特に私のようなファッションセンスのない人間にとって、ユニクロが提供してくれている価値はいかほどでしょうか。
もちろん、その快適さが他の誰かの犠牲の上にしか成り立たないものであってはいけません。その人たちにとっても当然ながら、長期的には私にとっても、持続可能性は極めて重要な論点です。
持続可能ということを考えた時に、「買わない」以外の戦い方があってもいいと、私は思います。
さて、翻って私たち個人投資家はどうでしょうか。
まず、自分の価値観、倫理観に照らしてそぐわない企業は「買わない」という選択ができます。
あるいは、既に保有している企業に問題が認められた場合に「売却する」こともできます。
これらはタイミング等の問題はあるにせよ、簡単なことです。
一方で、その企業を保有し続け、株主として改善を呼びかけていく、というのはイチ個人にとっては簡単ではないかもしれません。数単元分の声が意味のあるものとして企業に届くのかもわかりません。
ただ、その企業が一方では確かに価値を作り出せる企業で、片方では問題を抱えているという場合、「買わない」以外の選択として、株主として見守る、弱々しくとも声を上げ続ける、というアプローチがあってもいいと、私は思います。
ファストリの場合、意識的にかどうかはさておき、かなりの数の個人投資家が多少なりとも保有しているはずです。なにせTOPIXの構成比0.4%、日経平均の11%!ですから、無意識投資家ほど、実は保有比率が高いかもしれません。
あなたに責任はありませんか?
(注:冒頭のドストエフスキーは、かつて中二病を患っていた際に読んだ名言集で目にしたもので、どのような文脈で出た言葉かは知りません。なんとなく本記事に合っているような気がしたので引用しました)
コメント
こんにちは!
僕の記事のご紹介ありがとうございます!
”持続可能ということを考えた時に、「買わない」以外の戦い方があってもいい”
”株主として見守る、弱々しくとも声を上げ続ける、というアプローチがあってもいい”
僕の考えも非常に近いです。
もしかしたら、本質的には0か1か、白か黒か、がハッキリしている事案なのかもしれませんが、複雑な事情が折り重なることで多くの場合、この種の問題は判断が難しくなるものだと思います。そもそも、事実がどこにあるのか、それさえも分からないことの方が多い。
十分な事実を知らないままに判断する、例えば、一刀両断に「買わない」という行動を取ってしまうと、そこで関係は切れてしまうと想像します。関係を切ってしまうということは、関わってその問題に向き合ったり、解決策に取り組むことを不可能にしてしまいます。
会社も投資家も社会から利益を得ているわけで、この種の問題から逃げ去るのではなく、向き合う、立ち向かうことがむしろ責任を果たすことになると感じます。
鬼丸昌也さんの「私たちは微力かもしれないが、無力ではない」という言葉がこの件で思い浮かびました。「株主として見守る、弱々しくとも声を上げ続ける」という面で、投資信託にはその弱々しさを克服する可能性があると考えています。
大切なことは、瞬間風速的に問題を取り上げるのではなく、継続的に観測、ウオッチ、モニターしていく、関心を持ち続けることだと考えています。
コメントありがとうございます。
仰る通り、関わり続ける意思、ものすごく広い意味の、ひょっとしたら薄いかもしれませんが自分なりの当事者意識を持つことで、何らか世の中のポジティブな変化にほんの少しでも関われるのではないかと思っています。
「あなたが見たいと思う世界の変化に、あなた自身がなりなさい」
を引用するのはあまりに大仰かもしれませんが、この言葉を知った当時は遠く感じられたものが、「投資」という行為を通じて少しイメージできたことは、自分の中のポジティブな変化かなと思います。