樵(きこり):山林の木を切りだすこと。また、それを職業とする人。そまびと。
杣人(そまびと):杣木(材木用に植えられた木)を切ったり運び出したりする人。きこり。
Weblio辞書より(一部抜粋、補足)
2022年の抱負にかえて
皆さんは、「きこり」と聞いて何を思い浮かべますか?
「金の斧、銀の斧」の童話でしょうか?あるいは派生形で「きれいなジャイアン」?
ヘイヘイホー?それともブルボンのお菓子でしょうか?
私の仕事的には「きこりのジレンマ」なのですが、少数派ですかね…。
「きこりん」を思い出す人は、住友林業さんの関係者ですかね。
それでは、「そまびと」はどうでしょう?
鬼滅の刃を漫画で読んだ方なら、無一郎君のお父さんは杣人だったなと思い出すかもしれませんが、ほとんどの方にとっては馴染みのない単語ではないかと思います。
新年一発目の更新ということで、本来であれば今年の抱負や投資方針などを書くべきなのでしょうが、カレンダーが変わったところで特に変わることもないので、今日は昨年私が出会ったある杣人の話を書きたいと思います。
ある杣人の話
少し前になりますが、ある林業者さんと知り合い、話を聞く機会がありました。
彼はその道30年のベテランで、西の方のとある山林を責任者として管理しています。
その山で採れるヒノキは、寺社や高級住宅の構造材として使用されるもので、かなりの高額で取引されるようです。
柱として利用できるようになるまで少なくとも60年、モノによっては100年以上育てる必要があるそうです。
彼は非常に温厚な性格で語り口も非常に穏やかなのですが、会話の中で、私が彼の職業を「きこり」と表現したとき、静かな、しかし確かなプライドを持った口調で、「きこりっていうか、そまびとだね」と訂正されました。
彼曰く、「きこり」の仕事は木を伐ることで、山々を渡り歩きそこに生えている木を伐る人を指すそうです。彼の立場からすると、「収奪者」というイメージを纏うそうです。
それに対し「そまびと」は、木を植え、育て、間引き、数十年のサイクルを考えながら山を管理して、その一つのプロセスとして木を伐る人のことだと。自分がやっているのは、そういう仕事だと話してくれました。
彼がその日伐る木は、誰かが数十年前、数百年前に植えたもので、彼はそれが誰で、どんな思いで植えたかを知る由がありません。
その木は、誰かの家を支える土台として、あるいは多くの人が集まる神社の柱として、今後数十年、数百年に渡って人々の営みを支えます。もちろん、彼がその行く末を見ることはありません。
彼は、今日も(さすがに元旦は休んでいると思いますが)、これまでの数百年を感じ、これからの数百年に思いを馳せながら、木を植え、見守り、そして伐るのです。
株式投資の話
(冒頭引用の通り、辞書的には樵と杣人に明確な差はないようですが、以下の記述は、私が話を聞いた彼の解釈に基づいて書きます)
彼の話を聞いたとき、投資の世界にも「樵」的な人と、「杣人」的な人がいるなと思いました。
樵の代表格としてまず思いつくのは、「煽り屋」的な人々ですね。
これに吸い取られる「イナゴ」的な人々も結局は煽り屋と同質の性質のゲームに自らの意思で参加しているわけなので、まあそれは自己責任なのですが、とはいえこのところさすがにあまりにな事例も目に付くので、然るべきところに然るべき処罰か下ることを草葉の陰から願っています。
この人たちは典型的なゼロ(マイナス)サムゲームの人たちですが、株式投資は本来的にプラスサムゲームだという主張もあります。しかしながら、この「プラスサムゲーム」に乗って皆で幸せになろう、と主張する人たちでさえ、樵的な主張が散見されます。
そもそも株式投資がプラスサムなのは、個々の企業の企業価値が上がるから。すなわち、その企業の経営者や従業員が創意工夫を凝らして、顧客の課題を解決し、参入障壁を築くことで、資本コストを上回る収益率をあげているからです。
「世界経済が右肩上がりで成長しているから」でもなければ(相関はあるだろうが)、「〇〇市場は、過去何年、年率〇%で上がってきたから」でもありません(結果にすぎぬ)。
「みんなで幸せになろうよ」派の人々(以後、本記事では、イン…「福音派」と呼びます)は、福音ファンドを運用するA投資顧問が信託報酬率を引き下げると、「B投資顧問さん(同種の福音ファンドを扱う別の運用会社)もヨロシク!」などと主張します。
投信購入・保有に積極的にポイントを付与してきたC証券がポイント還元率を引き下げると「改悪だ!背信行為だ!他社に乗り換えだ!」とわめきたてます。
そのC証券が自社メディアで「福音ファンドだけでなく、大乗仏教も選択肢にありますよ」と書くと、宿痾とかいう小難しい言葉まで使って「ごり押しだ」と糾弾します。
当然ながら、A社もB社もC社も営利企業です。
B社が提供する商品の値札がA社の同種商品よりも高いとしても、それはB社が諸条件を勘案した事業戦略の結果です。A社とて、様々な条件を考慮して、個々の商品をプライシングしているはずです。
C社のポイント還元率をもとに損益計算書を想像してみれば、福音ファンドを月5万円以下買う人ばかりでは赤字になるのは自明です。そんなサービスが永続するはずはありませんし、自社にとって実入りの良い商品をお勧めするのは、企業として当然です。それが顧客に不利益しかもたらさないようなトンデモ商品であれば、C社は顧客と信用を失いやはりその事業は永続しないでしょう。
上記の福音派の主張は、自身がサービスを利用し恩恵を享受する企業に対して、あまりにリスペクトを欠く、収奪者的主張と言わざるをえません。
しかもその企業は、この方々が投資しているファンドに(間接的にであっても)含まれているにも関わらず、です。
来し方行く末
このような投資家の一方で、投資先企業のその一つ一つについて、その企業の数十年の歴史を知り、現在を観察しながら、数十年後の未来に思いを馳せる投資家たちもいます。
別にどっちが良い悪いとか、正しい間違っているを主張するつもりは、これっぽっちもありません。そんな議論は年男を終えアラフォーに差し掛かった私の頭頂部のように不毛です。
ただ、私自身は、営々と続くその企業の事業に思いを馳せながら、果実をともにいただく、杣人でありたいと願うだけです。
今年はそのような視点から、個別企業に関する記事も多少は書きたいと思っています。
本年もなにとぞよろしくお願いいたします。
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